クラスアクトの求人情報をご覧の皆さん、こんにちは、クラスアクト広報です。
皆さんは選考に応募する前、志望企業の評判を検索されますでしょうか?
弊社の場合「クラスアクト 評判」で検索してみると…
・入社を決めた理由は社長や面接官の人柄
・社長の人柄で人が集まっている
・社員の方々をよく考えている
といった口コミが見られます。
会社選びのポイントは色々ある中で「社長の人柄」と口コミに書かれているには少し珍しいのではないでしょうか?
そこで今回は「社長の人柄」に迫るべく、クラスアクトの代表取締役・本間さんにライフストーリーをインタビューしてみました!
略歴
岩手県出身。
幼少期からパソコンとクライミングに没頭。
新卒で釣り具メーカーに就職した後、IT業界に転職。
インフラエンジニアとして従事し、2005年にクラスアクトを創業。
現在は社長業をするかたわら、自転車やクライミングに取り組んでいる。

パソコンにハマった幼少期
初めてパソコンに触れたのは、小学生のときでした。
機械をいじるのが好きで、何かあったら分解したくなる小学生だったんです。
家で使ってた家電とかブラウン管テレビが使えなくなったらもらって、元に戻せなくなるまでひたすら分解してました。
仕組みを見るのが好きだったんだと思います。
あるとき友達の家に遊びに行ったら、友達がパソコンでカセットテープデータの読み出しと書き込みを見せてくれました。
データが物理的にテープに書き込まれる、機械的な動きがすごく面白くて、そこからはパソコンを使って何ができるかに興味が湧いたんです。
たぶんそれがIT業界に進んだ本当に最初のきっかけでした。
それからPC雑誌を買って読んだり、お年玉を貯めて買ったパソコンで遊んだりしてました。
当時MSXというキーボードと本体が一緒になったような、半分ゲーム機のような安いパソコンがあったんですよ。
カセットを入れてゲームもできるし、プログラミングもできるパソコンでした。
マイコンベーシックという雑誌にプログラムのコードが書いてあって、そのまま書くと簡単なインベーダーゲームみたいなのが動くので、それをやってみたり。ドット絵を描いて見たり。
小学生でお金がないのでそれぐらいのことしかやれなかったですけど、だんだんパソコンにハマっていきましたね。
高校卒業くらいまで、パソコン雑誌を買って『パソコン通信というのがあるんだな』なんて知って、それができるNECの98シリーズとか富士通のFM TOWNSが高くて買えず、やりたいけどできない歯がゆさと憧れを感じてました。
ITの道、山の道、釣りの道
岩手から上京して大学に入ると、同級生の友達にパソコン好きがいまして。
こっちだと秋葉原とか、パソコンパーツのお店がいっぱいあるじゃないですか。
1,000円ちょっとでジャンク品の98互換のPC本体と、数百円のディスプレイとキーボード、マウスくらいで数千円のパソコン環境を作れて。
メモリは搭載されいませんでしたが、友達がくれた大量の3.5インチと5インチのフロッピーディスクを使ってました。
それを使ってMS-DOSをフロッピーから起動したり、テキストファイルをいじったりDOS起動時にメモリの調整したり、ジャンパーピンを変えてみたらディスプレイの解像度をあげられたり、総当たりでひたすらイジってパソコンが動くこと自体を楽しんでいました。
で、だんだん環境をアップデートできてくると、Windowsを動かせるくらいになったんですよ。
大学3年くらいで、ダイアルアップですけどようやくインターネットもつながるようになって。
当時のインターネットと言えば、深夜帯にテレホーダイという使い放題サービスがあって夜更かししていました。
最初は画像をいじって遊んだり、NNTP(Network News Transfer Protocol)で情報収集したりして、だんだんとセキュリティ的なところにも興味が出て手を出してみたりして、周りの人たちに比べるとパソコン関連に詳しくなりました。

そんな風にパソコンに親しんできたかたわら、山も好きでよく遊びに出かけてました。
自然はずっと身近にありましたからね。
特に高校から本格的に始めたんですよ。
部員が自分だけの山岳部に入って、石を詰めて40kgのザックを作って学校の階段や裏山に登ってトレーニングして、一人で出られる大会に出ました。
当時の岩手県はインターハイ優勝する強さで、その中で10位くらいに入れたので私としては満足でした。
大学でも山に登りたいと思って進学して、日本アルプスに寄った大学に入りました。
普通の登山というより難易度の高い登山をやっていきたく、山梨の山岳会にアプローチして所属させてもらえることになりまして。
勉強はそこそこに、登山とフリークライミング、そしてパソコンに没頭した4年間だったなと思います。
それから就職活動をする時期になって、就職氷河期でそもそも就職が難しかった当時。
ITを仕事にするのも考えましたが、プログラマーのイメージが強く、趣味と仕事では次元が違うと想像していたので、自分がなれるものではないと思って断念しました。
何を人生の軸に置きたいかを考えると、山の道に進んで海外の極地(きょくち)探検をやりたい気持ちが強いことに気づきました。
しかしそれには時間とお金の融通がきく必要がある。極地探検をやってる私の周りにいる人は自分で会社をやってるか、公務員か世捨て人でした。
決して裕福ではない家庭で大学まで出させてもらって、やりたいことをやって突き進んできた中で、これ以上親に負担をかけるようなことは選択できず、まずは稼いで自立するために、就職は入れるところに入ることを最優先しました。
いろんな会社を受けてみて、採用してもらえたのが釣り具の小売店でした。
登山などアウトドアの話がうまく刺さったんですかね。
釣りをしながらしばらく働きました。
胃潰瘍になるくらいのことはあったですが、大きな不満はなく釣りを楽しみながら悪くない生活をしていました。
業務未経験からのIT転職
釣り具屋で働いてしばらく経ち、大学の同級生がIT系の仕事に就いたと聞きまして。
自分でもIT業界で働ける可能性があるのかなと思いました。
極地探検をしたい気持ちはずっとあって、ITのことを調べる中で、独立してやっていけそうな、極地探検の夢に近づけそうな道が多く見えてきました。
ちょうどITバブルの頃でしたからね。
すぐに釣り具屋を辞めて、月2万円の家賃の家を借りてひたすら勉強を始めました。
エンジニアがなんたるかが分かってなかったので、C言語を勉強したり、Linuxをインストールしていじってみたり、基本情報を勉強したり、手当たり次第に技術に触れてました。
そのうちお金がなくなってきて日銭を稼ごうとアルバイトを探したのですが、どうせならIT系だと思って受けに行ったアルバイト情報誌に載っていた会社が、初めてのIT企業になりましたね。
入社して分かったんですが、当時はよくあったブラックな研修環境の、たくさん入社して1週間以内に9割やめるSESの会社でした。
飲みに行くと殴り合いになってましたね。
個人的には退屈せずに楽しんでいました。
一見理不尽な環境でも楽しめたのは、伝統校だった高校時代に似たような経験をしていたからだと思います。

過激派と穏やかな独立
研修を終えると現場に出て、基本はお客さん先で常駐してました。
現場に入りたてのときは現場が湾岸地域だったので業務と移動でかなり忙しかったです。
当時八王子に住んでて通勤が大変だったので、現場に近い本社に泊まらせてもらって、近くの銭湯で汗を流して、本社で椅子を並べて寝る生活をしたこともありました。
3年くらいその会社で働いていてる途中に、一度起業をしました。
サイドビジネス的に休日や夜の時間を使ってチャレンジする形でした。
普通の人はやめていく会社に残っている、その中でも過激派の人たちと一緒に声をかけて、ガラケーのアプリ開発やローカルテレビ局のサーバ保守なんかをやってました。
そこでBtoBの金銭感覚とか、法人を動かして行くノウハウを得られたのは良い経験になりましたね。
しばらくして自分が所属している事業部が消滅しそうなタイミングがあり、自分も独立のタイミングを窺っていたのもあり、今が機だと思って自分も辞めました。
ですが、元の現場の方から継続して支援してほしいとお話をいただき、一旦個人事業主として契約、その後クラスアクトを立ち上げて今もお付き合いしていただいてます。
楽しいと感じることをとことんやる
難易度の高い山を攻略する。冒険家のインタビューを雑誌で読む。
登山道具を見る。
山に関することは何でも楽しくて、より楽しむために必要なことをやってきました。
パソコンもそうですね。
何かやりたいこと、実現すべきことに対して、ルートが無限にある。
プロトコルとか仕組みとか、無限にあるルートに対してどれだけ経験を積めるか。
その道のりを楽しめる素養が、エンジニアになって活きてきたなと思います。
把握しきれない分岐がたくさんあるなかで、業務的な必要性ではなく、自分の興味に則ってやっていく。
特にサーバ系に進むなら、必要なスタンスだと思います。
興味で広げたできることの幅が、仕事で実現できることの種類を増やしてくれます。
クラスアクトも内部のシステムの大部分をオープンソースでまかなってるのはその延長です。
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